音楽と社会フォーラムのブログ

政治経済学・経済史学会の常設専門部会「音楽と社会フォーラム」の公式ブログです。

第16回研究会(国際音楽学会東京大会のラウンドテーブルの準備研究会)の内容を紹介いたします!

 肌寒い日々が続く今日この頃、いかがお過ごしでしょうか。

 今回は、2017年1月7日に東京大学本郷キャンパスにおいて行われた第16回研究会(国際音楽学会東京大会のラウンドテーブルの準備研究会)の内容を紹介いたします。報告者のみなさま、ご参加いただいたみなさま、まことにありがとうございました。


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音楽と社会フォーラム 第16回研究会
2017年1月7日(土)14:00〜 於:東京大学
東京大学本郷キャンパス経済学研究科棟10階第4共同研究室

国際音楽学学会ラウンドテーブル準備研究会
民族音楽学と音楽産業―「民族的なるもの」の流用―

 2017年3月19日〜23日に東京芸術大学で開催される国際音楽学会東京大会(IMS Tokyo http://ims2017-tokyo.org/)のラウンドテーブル(RT7-1 2017年3月22日(水) 9:30-11:30)の準備研究会が開催された。最初に、企画者の井上貴子が、今回のテーマに関連する主要文献の骨子を紹介しテーマの説明を行った。文献は以下の三冊である。

1. Leyshon, Andrew, David Matless and George Revill eds. 1998, The Place of Music, The Guilford Press.
2. Michael Denning, 2015, Noise Uprising: The Audiopolitics of a World Musical Revolution. Verso.
3. トマス・トリノ 2015, 『ミュージック・アズ・ソーシャルライフ―歌い踊ることをめぐる政治―』野澤豊一、西島千尋訳、水声社 (Thomas Turino, 2008, Music as Social Life: The Politics of Participation, The University of Chicago Press)。

 1. は地理学者と音楽学者による共同研究であり、音楽に現れる地理的イメージについて考える上で重要である。「民族的なるもの」はしばしば地理用語を用いて表現されてきた。2. は、楽譜や生の演奏に加えて録音音楽が20世紀の音楽を語る上でいかに大きな影響力をもったかを認識する上で重要である。3. は、音楽をライブ・パフォーマンス(参与型・上演型)とレコード音楽(ハイファイ型・スタジオアート型)に分け、両者を同等に扱う視点を提供している点が重要である。以下は、ラウンドテーブルの各報告者の要旨である。


1. 音楽的嗜好の伝播と横領─近代日本の民衆音楽の経験に注目して─

                                        小野塚知二

 労働運動/社会主義運動の歌に注目して、西洋音楽の嗜好がどのように日本に伝播し、日本人の音感を横領したかを論じた。自由民権運動から第一次世界大戦期にいたる運動歌はいまの耳には日本の伝統的音楽に聞こえるが、そこにもすでに音階や拍節構造の点で西洋音楽の要素は色濃く密輸されていた。第一次世界大戦後は欧米の標準的な運動歌が日本に導入されただけでなく、日本でも西洋風の運動歌が作られるようになった。しかし、第一次大戦後は音盤、映画、ラジオなどの再現技術の普及によって、日本では、運動歌以外の民衆音楽が全般的に欧米と同時代的な流行を経験するようになった。


2. 20世紀半ばのレコードに見るハワイ日系人エスニック・イメージ操作

                                      早稲田みな子

 ハワイの日系アメリカ人は、ハワイ文化、アメリカ主流文化、日本文化という三つの文化を背景としているため、そのエスニック・イメージは非常に曖昧である。本発表では、20世紀半ばに録音されたハワイ日系人のレコード――進駐軍ソング、ハワイ風ポピュラーソング、ウクレレ・ソロ――を手掛かりに、彼らのエスニシティが、作曲家やプロデューサーにどのように理解され、音楽面・視覚面において戦略的に利用されたかを概観した。


3. 「バリらしさ」をめぐる攻防〜対立する権力、権益、環境問題とポップ・バリ

                                        伏木香織

 1990年代のポップ・バリのアンダーグラウンドシーンから生まれたポップ・バリ・オルタナティブ、特にメタル、パンク、グランジのミュージシャンたちが「バリらしさ」を巡って、社会活動を始め、活動に政治性を帯びてきた様を論じた。ローカルな政治の脈略で「バリらしさ」がクローズアップされるなか、インドネシア中央の権力の交代劇と絡み、様々な思惑が「バリらしさ」の背後に蠢いている。近年はそこに権力者と結びついて国境を越えてきた開発業者が権益を求めてバリの開発に乗り出し、「バリを守る」とはどういうことなのかが問われるようになった。その先頭にいるのがパンクのミュージシャンたちなのである。本発表ではパンクの代表的なバンドで活動をリードするSIDに焦点を当て、その具体的な活動の変遷を明らかにした。


4. インド音楽の発見、再発見―ビートルズを中心に―
                                        井上貴子

 インド音楽は西洋によって何度も発見され、その発見はクラシック音楽以外から行われてきた。最初の発見(18世紀末〜19世紀初頭)はヒンドゥスターニー・エアと東洋学者やアマチュア愛好家、第二次発見(19世紀末〜20世紀初頭)は録音された音楽の蓄積と比較音楽学、第三次発見(1950年代〜60年代)はポピュラー音楽への導入と民族音楽学、第四次発見(20世紀末以降)はエイジアン・アンダーグラウンドカルチュラル・スタディーズによって特徴づけられる。本報告は特に第三次発見の代表的事例としてビートルズに焦点をあてた。インドは西洋の他者として、音楽家=実践と学者=理論、あるいは音楽産業と音楽研究機関の共犯関係により強化、流用されてきたのである。



 4名の報告終了後のフロアからの質問は政治と音楽との関係に集中した。一方、音楽産業という視点が今一つ弱いという点も指摘された。録音音楽の普及の背景に存在するのは、もちろん音楽産業であり、音楽学が楽譜の分析から鳴り響く音そのものを中心とした研究へと徐々に関心を移したのは、録音音楽の普及によって、世界各国の音楽が容易に入手できるようになったからであり、ヨーロッパのクラシック音楽のような精巧な楽譜の存在しない音楽を主たる研究対象としてきた「民族音楽学者」が、それをけん引してきたのである。企画者はこの点を改めて確認する必要があると感じている。