音楽と社会フォーラムのブログ

政治経済学・経済史学会の常設専門部会「音楽と社会フォーラム」の公式ブログです。

暑い夏とカラオケ

 というタイトルですが、朝がた大雨に見舞われ、ずぶぬれになった筆者です。そんな今日この頃、みなさまいかがお過ごしでしょうか。

 

 昨晩、本当に本当に久しぶりに、ゼミ生に誘われるままにカラオケに行ってまいりました。

 

 カラオケが国民的なレジャーとして普及しつつあった頃、10代であった筆者は、最近カラオケ産業における大手の業者の不調も聞いているし、勝手に今この業界はどうなのか?などと思っていましたが、大学生の皆には現在も定番の娯楽、飲み会の後に行く場合が多い、そのダントツの第一候補だと聞きました。

 

 事実、昨晩お邪魔したお店は、しっかりした設備を備え、サービスも充実しており、些かの驚きを感じました。筆者が若いころは、ロードサイドの空き地にコンテナを改造しただけの「荒っぽい」カラオケ店が多くありましたが(そうした粗製乱造が多くみられたほどビジネスチャンスが広がっていた時期だったと思われますが)、全くその頃の印象とは異なりました。みなさまは、そんなの当たり前、そんなことも知らなかったのか、と思われるかもしれません。すいません。全く「今」のことに疎くお恥ずかしい限りです。

 

 そして何よりびっくりしたのが、大学生の歌のうまいこと!キーを自分に合わせ変えていることもありますが、ビブラートを多用する歌唱に圧倒されてしまいました。しかも参加した全員がそうでした!!場数を踏んでいるのか、歌うことが当たり前なのか…筆者も歌うことが好きで些か自信もあったのですが、気後れしてしまい、そして、何より彼らの歌いたい!という意欲の前に自分が歌うことを控えざるを得ませんでした。あと、人前で歌うことに対する恥ずかしさのようなものを、彼らからほとんど感じられない点についても、時代の移り変わりを痛感せずにはいられませんでした(このことについても、そんなことも知らないのかといわれそうですが…)。

 

 ただし、ゼミ生たちが気をつかってくれたのか、筆者のような中年でも知っている80-90年代の歌謡曲、ポップスや古いアニソンなどを選択していただき、お酒が進んでいたこともありますが、何かわくわくするようなラジオ番組をずっと聞いているような心地よさがありました。素晴らしき「DJ」でした!

 

 そんなこともあり、これまた本当に、本当に久しぶりに徹夜、オールを経験しました…午後まで起きられなくて年甲斐もなく恥ずかしい、と反省しております(こたえます…)…ただ、あまり味わったことのない「楽しさ」を提供してくれたゼミ生に本当に感謝したいと思います!!

 

ゼミ生による報告に刺激を受けて

 すっかり蒸し暑くなってきました今日この頃、いかがお過ごしでしょうか。マスクがきついです…とくに坂道をのぼる際…

 

 先日、自分が担当するゼミナールにおいて、4年生による卒業論文の中間報告を行いました。経済学部なのですが、筆者が本フォーラムの事務局を担当していることもあり、筆者のゼミは、音楽について、あるいは音楽と経済の関係について、深く学びたい、語り合いたいとする学生たちとの触れ合いの場にもなっています。

 

 筆者のゼミに所属する、ある学生の卒業論文は、日本における音楽業界、音楽産業の現状をテーマとするものでした。多くのことに目配りができている内容であり、まず感心したのですが、個人的にとくに興味を抱いたのが、オンラインを通じて行われる(有料の)ライブの話でした。

 

 オンラインでのライブ(の普及)は、コロナの影響の副産物といえるかもしれませんが、さまざまな理由(面倒だ、交通費および移動の時間がかかる等)でライブに足を運ぶことを躊躇していたみなさんには好都合のかたちなのかもしれない。まずこうした感想を持ちました。他方でコンピューターなどを通じた画像越しのライブが、現場で実際に体験するものと、どうしても差があるのでは、とも考えました。

 

 ただ、音楽を送り届ける側であるアーティストにとっては、(多くの)会場を借りなくてもよい、全国を回る必要が必ずしもない等、とりわけコストの面で好都合の点が(多く)あるともいえます。さらに学生からは、オンラインならではの演出もあるとの話を聞き、なるほどとうなづくことばかりでした。

 

 年齢を重ねた身としては、時間の経過に伴う音楽の楽しみかたのかたちの変遷を実感せずにはいられません。何よりそれを痛感した報告でした。気づきを与えてくれた報告を提供してくれたゼミ生に、まずは感謝したいと思います。そして、今後、音楽の楽しみかたのかたちはどうなるのだろう、と、全く意味のなさそうな思いを抱いたことも、ともあれ記しておきたい思います。

 

 前回と同様、あくまで中年男の独り言とお考えいただければ幸いでございます。

 

 

アナログレコードの「復活」の動きと個人的な思い

 蒸し暑くなってきました今日この頃、みなさまいかがお過ごしでしょうか。

 

 アナログレコード(vinyl record)の天敵の一つである、カビの季節が近づいたともいえますが。

 

 中年の筆者にとっては、アナログレコードこそが最重要の「音源」であり、音楽に触れる手段でありました。盤面に指紋がつかないように(ついた箇所にカビが出てきますので)ジャケット(および中袋 *日本ではビニール、アメリカでは紙が多かったように思います)からレコード盤を取り出し、ターンテーブルにそっとのせて、針を落とす。こうした「繊細」な手続きを経てはじめて、音楽に出会うことができました。今考えると、ガサツな筆者にとっては面倒ではありましたが、不得手なこのデリケートな作業を進めているとき、いつも本当にわくわくしたことを記憶しております。

 

 ただ、筆者所有のアナログレコードは、現在では必ずしも頑丈とはいえない実家にとっての「重荷」としての面ばかりが際立つようになっております。ここ数年、アナログレコードに針を落とした記憶がありません。

 

 この人は突然何をいっているのか、とお思いかもしれませんが、(かつて)あれほど愛したアナログレコードのことをふと考えるきっかけとなった、興味深い記事を紹介いたします。

 

「復活を遂げたアナログレコード 一体どんな人が買っているのか? 米国の新しい調査結果発表」

復活を遂げたアナログレコード 一体どんな人が買っているのか? 米国の新しい調査結果発表 - amass

 

 主にアメリカにおけるアナログレコード市場を分析したこの記事を筆者なりに解釈しますと、若い方々も購入することが多く、その数は昨年に比しても大幅に増加しております。筆者などは新品よりも中古が好きだったのですが、新品(発売していること自体が筆者には驚きですが)を購入される方も多いとのことです。しかもその多くはアナログレコードの「良さ」を理解しており(例えば、「本物」感、音の「温かみ」等)、継続して購入される場合が多いようです。

 

 上記の状況については、サブスクあるいはネットを媒介してで音楽を聴くことが普通となったこの時代にどうして?とも思ったのですが、やはりアナログレコードを音楽を聴く手段というよりも、(例えば音楽自体はデジタルを通じて聴き)レコードをモノとして所有したい、集めたいという意識で購入される方も多いとのことです。私自身もこれと共通する思いを持ち合わせておりましたので、妙に納得してしまいました。

 

 筆者は10代のころに、アナログレコードからCDへの「移行」に直面しましたが、当時から後者に比して前者の音質が優れているとされていました。ただ、筆者は安物のオーディオ機材しか所有しておらず、音質も違いはよくわからなかったことを記憶しています。前出の記事によれば、アナログレコードの購入者の少なくない数の方々がオーディオ機材のアップグレードを考えているとあります。なるほど!、こうした「新たな」市場の開拓、「経済効果」もあるのか、と単純に思いました。もっとも筆者はCDの台頭の際、アナログレコードの問題点の一つの「プチプチ音」(この表現が適切かわかりませんが)がないこと、また持ち運びが容易なことに感動しましたが。例えば、夜に友人などと会う約束をした日でも、かさばらないので気楽にショップに出かけ購入することにある意味での楽しさを感じたこと覚えています。

 

 と、さまざまな私的な思い(出)を綴らせていただいたのですが、その過程で、日本でも、とりわけ2000年代に入ってみられたアナログレコードの復活・復権の動きにほとんどかかわりのなかった自分がいることを再確認しました。一時期は、今後レコード針が入手できるのか、と真剣に気をもんだ時期もあったのですが、それから、かなりの時間が経過したようです…ともあれ、アナログレコードをこよなく愛した者としては喜ばしい昨今の状況であり、いつか筆者もこのムーブメントに参加したいと考えてはおります。

 

 乱文失礼しました。

今年初の研究会、第24回研究会の内容をご紹介します!!

 2022年度、新学期が始まり、徐々に暑さを感じる日も多くなってきた今日この頃、みなさま、いかがお過ごしでしょうか

 

 今回は、2022年3月25日にオンラインで行われました、第24回研究会におけるご報告の内容を紹介させていただきます。

 

 井上貴子さん大東文化大学)による、

マカロニ・ホラーと音楽の奇妙な調和と不和」と題したご報告です。

 

 この興味深いテーマのご報告に際し、多くのみなさんにお集まりいただきました。ご参加いただいたみなさま、まことにありがとうございました。

 

 ご報告は、本当に数多くの音源を解説とともにご紹介いただきつつ進められました。楽しくも興味深く、さらには重厚な内容でした。

 

 以下にご報告の要旨を掲載いたします。

 

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          マカロニホラーと音楽の奇妙な調和と不和

 

                          井上貴子(大東文化大学)

 

 21世紀に入って、『進撃の巨人』や『鬼滅の刃』といったアニメによって1980年前後に確立した近代ゾンビの進化系が大流行している。元来ホラー映画の典型的なキャラクターとして発展したゾンビの「人を襲って食い感染する」という性質は、新型コロナの急速な感染拡大、隔離と管理の必要性という今日の言論ともパラレルでもある。本発表は、近代ゾンビの確立に貢献したマカロニホラー(イタリアンホラー、イタホラ)の映画音楽の分析を通じて、恐怖を増幅するのに効果的な音楽について考察するものである。

 さて、ホラー映画に典型的なテーマ音楽やライトモチーフは、大きく分類すると、音の執拗な反復によって恐怖を増幅する「サイコ型」、子守歌や子供の歌、賛美歌風の歌などによって不気味さを演出する「ローズマリー型」、ミニマルミュージックの語法を取り入れた「エクソシスト型」、後期ロマン派フルオーケストラとワーグナー的ライトモチーフを特徴とする古典的ハリウッド映画音楽をベースとした「ジョーズ型」、恐怖映像には似つかわしくない美しく穏やかな音楽をつけることで異化効果や対照性をねらう「異化効果型」がある。全般的にみて、ホラー映画音楽にはミニマルミュージックと強い関係があり、古くは『サイコ』(1960)から21世紀の『ソウ』(2004)まで、いずれも執拗な音やフレーズの反復と言った音楽的特徴を共有する。この傾向はマイク・オールドフィールドの「チューブラーベルズ」が『エクソシスト』(1973)のテーマ曲に選ばれ、大ヒットしたことにより定着した。

 イタリア映画と言えば、1940~50年代のネオレアリズモ以降1980年代までは世界的な映画賞受賞作品が多かったが、1960年代には職人監督の手による低予算のマカロニウェスタンが大流行した。その衰退に伴い、職人監督たちは、グランギニョール的見世物を強調したジャッロと呼ばれる血みどろサスペンス・スリラー映画に進出、そこからマカロニホラーが発展した。その最盛期は1970~80年代で、90年代に入るとイタリアの映画産業自体の衰退に伴い、製作本数も著しく減少する。マカロニホラーの代表的ジャンルとしては、アメリカのスプラッター、スラッシャーに相当する「ジャッロ」、ジョージ・ロメロ監督『ゾンビ』(1978)のヒットに便乗して大量生産された「ゾンビ」、『ジョーズ』(1975)に触発された「生物パニック」などがある。この他にマカロニホラー独自の分野として、ヤコペッティ監督『世界残酷物語』(1962)に代表されるモンド映画の「やらせ」ドキュメンタリー、文明人と裸族が出会うカニバリズム映画にみられるモキュメンタリーがある。さらにブラックエマニュエル・シリーズに代表されるようなホラーとポルノの安易な合体も特徴的である。

 マカロニホラー映画音楽の特徴は、まず、どんな注文にも応じる万能タイプとどんな注文にも自分のストックの範囲内でのみ応じるタイプという二つの異なる職人気質の映画音楽作曲家が存在することである。第二に、低予算のためフルオーケストラも使えなければ、全身全霊で取り組めるものでもないため、パクリと使いまわし、自分の音楽ストックから適当に選んで垂れ流すことになる。そのため、従来のホラー映画のヒット作と似た作風の音楽、特にエクソシスト型の音楽が多い。しかし、残酷映像と美しい旋律の組み合わせをテーマ音楽として用いる異化効果型の音楽はイタリアがルーツともいわれる。

 では、マカロニホラー映画音楽の代表的な作曲家を挙げてみよう。マカロニウェスタンの代表作『荒野の用心棒』(1964)の大ヒットによって頭角を現したエンニオ・モリコーネ(1928~2020)は多作家で、どんな種類の音楽でも器用に自作できる職人気質の作曲家である。1960~70年代にはB級映画の音楽を多く手掛け、マカロニホラーにも多大な貢献をなしたが、後にハリウッドに進出しアカデミー賞作曲賞を受賞、世界で最も偉大な映画音楽作曲家の一人とされるまでになった。『サスペリア』(1977)の大ヒットにより、マカロニホラーを代表する監督となったダリオ・アルジェント監督が見出したのが、プログレッシヴロックバンド、ゴブリン (1972~)である。代表作には『サスペリア2/紅い深淵』(1975)、『サスペリア』、『ゾンビ』(1977)等があり、ミニマルミュージックを取り入れたプログレッシヴロックというエクソシスト型の音楽が特徴である。リズ・オルトラーニ(1926~2014)は、モンド映画世界残酷物語』のテーマ曲「モアMore」がグラミー賞を受賞したことで頭角を現した。その特徴は極端な異化効果にある。残酷シーンや恐怖映像に美しい旋律をもったテーマ曲を提供することで異化効果をねらう方法は、オルトラーニが先駆者だといわれている。

マカロニホラー映画のテーマ音楽はいかにして恐怖を増幅してきたのか。その最大の音楽的特徴はエクソシスト型と異化効果型である。ゴブリンに代表されるエクソシスト型は映像と音楽の「調和」を目指すものであり、執拗な反復フレーズの刷り込み効果によって恐怖があおられるという典型的なスタイルをもつ。この手の音楽は1960~70年代に流行して以来すっかり定着し、21世紀も使用され続けている。一方、オルトラーニの異化効果型音楽は、恐怖映像とは対照的なイージーリスニング風の音楽によって「不和」を表現する。そのため、映画から独立して演奏されると恐怖映像には簡単に結びつかない。通常、異化効果型は、予定調和的なテーマ音楽やライトモチーフがすでに存在し、それに対抗して用いることによって効果を発揮するが、オルトラーニはこの関係を完全に逆転させている。

 では、ミニマルミュージックとプログレッシヴロックの組み合わせが、恐怖を増幅するのに効果的な音楽として定着したのはなぜだろうか。ロックバンドは小規模編成のため、低予算で効果的な音楽を制作することが可能である。マカロニホラーは映画界の周縁に位置する異端の存在で、そもそもニッチなマーケットをねらって制作されている。  ミニマル的プログレの使用によって、映画界の主流である古典的ハリウッド映画のロマン派趣味から、安価で容易に差別化することが可能である。その音楽的特徴を一言でまとめるなら、「理性」を代表する機能和声音楽対「野蛮」を代表するアジアやアフリカ音楽の二項対立を、娯楽音楽職人的発想で脱構築したものだと言えるかもしれない。

 


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 以上です。

 

 井上さん、お忙しい中、お疲れ様でした。そして、まことにありがとうございました!

今年最初の研究会、迫る!!

日によって寒暖差が激しい今日この頃、みなさまいかがお過ごしでしょうか。

 

どうぞ風邪などひかれないようにご注意下さいませ。

 

さて、今年最初の研究会は来週金曜日、3月25日に開催されます。いよいよ1週間ほどに迫ってまいりました。

 

あらためて研究会の概要を以下に記します。

 

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音楽と社会フォーラム 第24回研究会
 
日時:2022年3月25日 金曜日 午後7時開会
(※今回はいつもと異なり、金曜日、19時からの開催ですのでお間違えなきように!)
 
 
オンライン研究会(Zoom)での開催です。
 
ZoomミーティングルームのURL等の情報は、本フォーラムのメーリングリスト(ML)で流しました。ご確認ください。
研究会のご参加等についてご不明の点がある場合は、下記のメールアドレスまでお伝え下さい。
 
 
プログラム
1.研究報告
 報告者:井上貴子大東文化大学
 テーマ:「マカロニ・ホラーと音楽の奇妙な調和と不和」
 
2. その他:フォーラムの研究成果出版について
 
 
 
・・・・・・・・・・・・・
 
以上です。
 
お忙しい時期とは思いますが、
是非ご予定を調整していただき、ご参加いただければと思います。
 
なにとぞよろしくお願い申し上げます。
 
音楽と社会フォーラム事務局
 
masuda@isc.senshu-u.ac.jp

 

 

今年(2022年)初の研究会の開催、決定!!

音楽と社会フォーラムのみなさま

 

 「警報級の大雪」の予報におびえつつも、若干あたたかい日もある今日この頃、いかがお過ごしでしょうか。

 
 今回は、2022年初めての研究会の開催についてお知らせします!!
 
 まずは、決定事項のみ、お知らせさせていただきます!
 
・・・・・・・・・・・・
 
音楽と社会フォーラム 第24回研究会
 
日時:2022年3月25日 金曜日 午後7時開会
(※今回はいつもと異なり、金曜日、19時からの開催ですのでお間違えなきように!)
 
 
オンライン研究会(Zoom)での開催です。
 
ZoomミーティングルームのURL等の情報は、研究会日程が近づきましたら、ML等を通じてお知らせいたします
 
プログラム
1.研究報告
 報告者:井上貴子大東文化大学
 テーマ:「マカロニ・ホラーと音楽の奇妙な調和と不和」
 
2. その他:フォーラムの研究成果出版について
 
 
 
・・・・・・・・・・・・・
 
取り急ぎ以上です。追加の情報はまた本ブログやMLを通じてお知らせいたします。
 
是非ご予定を調整していただき、ご参加いただければ幸いです。
 
なにとぞよろしくお願い申し上げます。
 
音楽と社会フォーラム事務局
 
masuda@isc.senshu-u.ac.jp

第23回研究会の内容をご紹介します!   ―その1:第1報告について―

 2022年になりました… 

 

 新年の今日この頃、みなさま、いかがお過ごしでしょうか

 

 新年のご挨拶はまたの機会とさせていただき、今回は、2021年11月7日にオンラインで行われました、第23回研究会でのご報告(第1報告)の内容をご紹介させていただきます。

 

 井上貴子さん大東文化大学)による始動!!「病と死の音楽」プロジェクトについて」と題したご報告でした。

 

 以下にご報告の要旨を掲載いたします。

 

井上さん、まことにありがとうございました!

 

 


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音楽と社会フォーラム                   2021年11月7日(日)

 

           始動!!「病と死の音楽」プロジェクト

                                 井上貴子

 

 なぜ今、「病と死の音楽」というプロジェクトを開始するのか。主たる理由は二つ、第一に、新型コロナパンデミックによってライブハウスが大きな打撃を受けたことである。音楽には、人とのコミュニケーションを重視する音楽と重視しない音楽がある。すなわち、聴衆を必要とする音楽と必要としない、されない音楽である。後者はパンデミックとは無縁なので、打撃を受けることはないはずである。また、連日のようにメディアは病と死を話題にするようになった。私の人生の中でこれほどまでに病と死について考え、語ったことがあっただろうか。第二に、インドでケガレの象徴である葬式の太鼓を受け持つダリト(被抑圧者、不可触民)の音楽に関心をもったことである。人間にとって病や死は避けられないにもかかわらず、彼らは「健全」を求める社会から抑圧され、排除される存在となっている。

 さて、「病と死の音楽」でネット検索すると、最も多くヒットするのが音楽療法(心を癒す、ケアに役立つ、広い意味でのヒーリング音楽も含む)である。その背景にあるのが、音楽は「健全」な社会に役立に立たなければならないという言説である。厚生主義に基づき音楽と効用を結びつける発想に加え、今日の自然科学分野では、人・動物・生態系を一つの健康として捉えるワンヘルスという考え方が提唱されている。健全でないものは「呪われた部分」(バタイユの全般経済学における蕩尽)とみなされるのであろう。新型コロナ禍でのライブハウスたたきの背景には、健全な社会という発想、それを強化する日本社会の同調圧力、有用でなければ不要という厚生主義が存在するように思われる。

 次に多いのが、大作曲家の病と死にまつわる物語である。音楽に造詣のある医療関係者の著作にはこの手のものが多い。たとえば、ジョン・オシエー『音楽と病―病歴にみる大作曲家の姿』(菅野弘久訳、1996、法政大学出版局)、小松順一『大作曲家の病跡学―ベートーヴェン,シューマン,マーラー』(2017、星和書店)、小林聡幸『音楽と病のポリフォニー 大作曲家の健康生成論』(2018、アルテスパブリッシング)等がある。

 三番目が病と死にまつわるクラシックの名曲である。代表的な作品としては、ペストの惨禍に触発されたサンサーンス交響詩 死の舞踏」、病気・貧困・戦争で死にゆく者たちを描いたムソルグスキー「歌曲 死の歌と踊り」やショスタコーヴィチ交響曲第14番 死者の歌」などがある。また、多くの著名作曲家が葬送曲やレクイエムなどを作ってきた。

 本プロジェクトは「病と死」そのものをテーマとする音楽に焦点をあてる。その意味で真っ先に私が思いつくのは、「不健全」なポピュラー音楽である。例えば、ロックはそもそも「反体制」的であり、「不健全」「反健全」を表象するものが多い。特に、デスメタルブラックメタル、ゴス、ポジティブパンク等のヘヴィメタルやパンクのサブジャンルには病と死に直接関係する曲が目立ち、精神異常者、悪魔の呪い、地獄、殺人鬼等が頻繁に登場する。

 「売れる」ことを第一義とするJ-POPには病や死を直接扱ったものは少なく、死を扱っていても追悼や死別の悲しみといった、生きている人の心を癒す曲が中心である。しかし時には、鬱の時に共感できる曲、聴くと死にたくなる曲が大ヒットしてしまうことがある。例えば、鬼束ちひろ「月光」(2000) はダブルプラチナを達成した。また、「売れる」つもりがないのに大ヒットした曲の例としては、耽美な死の情景を描いたL'Arc〜en〜Ciel「花葬」(1998)がミリオンを達成した。病と死を直接扱ったホラー映画にも音楽は欠かせない。ホラー映画は「健全」ではないが、現実でもないために人々は安心して鑑賞する。元来ホラー映画のために作られたわけではないが有名になった例としては、『エクソシスト』のテーマに使用されたMike Oldfield “Tubular Bells” (1973)が思い出される。

 さて、プロジェクトをスタートするにあたって、養老孟司死の壁』(2004)を読み直してみた。養老は、かつて死はもっと身近なものだったが、近代的都市では死を前提しない街づくりがなされていること、生と死の境の定義について、死の瞬間は自己認識できず思想としての死とモノとしての死体が存在すること、近代的自己の確立の過程で、一人称の死、二人称の死、三人称の死が存在することを指摘している。

 本プロジェクトでは、実在の作曲家や音楽家の病と死と作品との関係や、広い意味での音楽療法的なものは取り上げない。一方、積極的に取り上げるのは、パンデミックの実際など病と死の現実を直接描いた音楽と、病と死の恐怖を増幅させることを目的とした音楽である。すなわち、プロジェクトの目的は、「健全な音楽」という言説を脱構築し、「健全な社会」という理念に疑問投げかけ、批判を恐れず「健全」が強化する同調圧力と制限と生き難さに抗うことである。これによって、かつて存在したであろう心身の一体性と生死の継続性の回復を希求したい。