音楽と社会フォーラムのブログ

政治経済学・経済史学会の常設専門部会「音楽と社会フォーラム」の公式ブログです。

政経史学会秋季学術大会におけるパネル・ディスカッションについて その2

 急激に寒くなった横浜です。みなさま、いかがお過ごしでしょうか。

 今回も引き続き、2018年度政治経済学・経済史学会(政経史学会)秋季学術大会の2日目、10月21日(日)の13:00〜15:30(於:一橋大学 本館2階26番教室) に行われた、本フォーラム主催のパネル・ディスカッション「音楽をとりあげる政治経済学的意義」の内容を紹介させていただきます。

 第二弾の今回は、井上貴子さん(大東文化大学)による第一報告「ポピュラー音楽研究の動向―音楽学社会学のアプローチから―」の要旨を掲載したします。

 原稿をお寄せいただいた井上さん、まことにありがとうございました。


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ポピュラー音楽研究の動向―音楽学社会学のアプローチから―

                             井上貴子(大東文化大学)


 音楽産業が政治経済学の継続的な研究対象ではなかった理由は、音楽場における経済関係は複雑で、音楽は商品として扱いにくいこと、音楽産業はメディアの技術発展と経営学的側面から探求されがちで、鳴り響く音楽に対する人々の感性を研究から排除することで客観性を担保し、主観的な美的価値を不問に付してきたためである。

 社会学は鳴り響く音楽を取り巻く諸側面、社会的機能、政治的有効性や市場性などに注目した。アドルノは、規格化された商品であるポピュラー音楽は大衆社会の規範的イデオロギーへの批判的契機を喪失しており、マスメディアは支配的文化様式を支持する従順な消費者としての大衆を再生産すると批判した。一方、カルチュラル・スタディーズは、ベンヤミンを解釈し、「アウラ」の喪失は芸術を儀式機能から解放し、支配的価値観を脅かすサブカルチャーを形成すると論じ、ポピュラー音楽を日常に潜む政治と権力に対する抵抗手段と解釈した。以上のように文化産業論には、規格化された商品の大量流通による選択肢の削減を否定的に捉えるアドルノ型と、技術発展が個人の解放と多様化をもたらすと肯定的に捉えるベンヤミン型の二つの傾向がみられる。
 
 音楽学は西洋芸術音楽の正典を学術的に研究する分野として発展したため、西洋芸術音楽でもオーセンティックな民俗音楽でもなく、音楽産業との不可分の関係にあるポピュラー音楽は、研究対象として本格的に取り上げられられず、研究方法もポピュラー音楽の分析にはほとんど役立たない。しかし、ポストモダンフェミニズムオリエンタリズム等の影響を受けたニュー・ミュージコロジーは、音楽をテクストとして読み解き、社会性や身体性に注目した。文化人類学と接合した民族音楽学は下層・民衆の音楽に注目し、世界各地に固有の音楽文化から多国籍に媒介された音楽文化の探求へと視野を広げていった。

 音楽産業の中核は鳴り響く音楽それ自体ではないため、従来の音楽学の貢献度はますます低下している。では、鳴り響く音楽の分析は音楽の政治経済学に貢献できるのか。そもそもポピュラーという枠組みとサウンド特性との関係は解明されたことがない。そのためには、従来型の音楽の骨組みの構造分析ではなく、音楽と心身との関係に注目し、鳴り響く音楽の血肉を分析することが重要である。音楽と美的価値・市場価値との関係の解明には、商品としての音楽に芸術的価値を見出さないアドルノ的な見方と音楽の価値は政治的に決定されるとするベンヤミン的見方を相対化し、音楽の市場価値は音楽それ自体の美的価値によって決定されないという点を確認する必要があるだろう。