音楽と社会フォーラムのブログ

政治経済学・経済史学会の常設専門部会「音楽と社会フォーラム」の公式ブログです。

第22回研究会の内容をご紹介します!   ―その1 第1報告について―

 政経史学会の秋季学術大会の中止から、はや1か月以上が経過しました。すっかり寒い日が多くなった今日このごろ、みなさまいかがお過ごしでしょうか。

 

 今回は、東京大学本郷キャンパスにおいて、2019年9月28日(土)14時より行われた第22回研究会における第1報告の内容をご紹介します。

 

 上尾信也さん(上野学園大学)による「ヨーロッパにおける「クラシック音楽」とは」と題したご報告でした。

 

 以下にご報告の要旨を掲載いたします。上尾さん、まことにありがとうございました!

 

 


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ヨーロッパにおける「クラシック音楽」とは何か(上尾信也)

 

 「ヨーロッパにおける音楽とはなにか」についての考察は、従来、音楽観の変化を指標とすることが多い。これは音楽作品を通じての様式の変化にもつながり、音楽史上の「時代」区分の問題として論じられる。歴史学においても時代区分は様々な歴史観とともに揺らいできた。16世紀以降から続く「長い近代」に対して、ジャック・ルゴフの「長く続く中世」は近代の開始を19世紀中葉に遅らせている(『時代区分は本当に必要か?―連続性と不連続性を再考する』)。興味深いのは、グローバル・ヒストリーの人やモノの移動、情報伝達の在り方の地球規模での共時的尺度という視点から、アフロ・ユーラシアと新大陸の有機的結びつきの確立した15世紀末から、蒸気船、電信ケーブル敷設といったグローバル化のスピードの加速した1870年頃までを近世としてとらえる時代区分である(木村靖二・岸本美緒・小松久男『歴史の転換期』シリーズ)。これは、人やモノの移動による伝達が、コトのみの伝達が可能になるという情報共有システムの変化ともいえよう。

 音楽とはどのように捉えられていたかという問いにもこの変化の指標は有効ではないだろうか。そして、そこには時代を越えて再生される音楽とその規範的技法を用いた「クラシック音楽」というヨーロッパに対しての独特の音楽観の「誕生」についても示唆される変化が見て取れよう。

 その変化の最初は、1500年前後の「思考される音楽」から「演奏される音楽」へ、つまり理論から実践への変化である。そして、次の変化は19世紀中葉までの過去の音楽作品の編纂とその演奏、そして規範的様式を意識した作品へという変化である。

 15世紀末からの変化の指標は、写本による楽譜からペトルッチを嚆矢とする印刷出版譜(パート譜であることに留意)、楽器製作の制式化(形態の同一化と音域ごとの種族化を可能したマニファクチャビリティ)による楽器の流布、これらに伴う楽器指南書や奏法譜によって、楽器と楽譜があればだれでも音楽演奏が可能になるという点である。それまでは、「音楽」とは言葉による音組織の理論化であり、聖歌唱を実践的素材として「Contrapunct」と呼ばれたポリフォニー技法などが理論書や声楽譜として継承されてきた。音楽とは思考されるものであった。

 そのなかで、1511年に印刷出版されたヴィルドゥングの『ドイツ語による音楽Musica getutscht』は、実際に使われていた楽器から、聖書記述にある楽器の図解と、鍵盤楽器リュート、リコーダーの奏法と奏法譜(声楽譜からの編曲法を含む)をドイツ語により簡明に指南している実践書である。その後17世紀以降のプレトリウス『楽器大全』や、メルセンヌ、百科全書、ベルリオーズへと連なる楽器法・楽器論は「楽器を通しての音楽実践を音楽」とした証左でもあろう。音楽は演奏実践であり、まず演奏家は作曲家であった。響くことと歌うことの技芸を意味する「Sonata、Cantata」が音楽を示し、音楽は「Opus(作品:モノ、コト)」という名で可視化され持ち運びされる楽譜となった。

 19世紀の変化は、ベートーヴェンが画期的指標となろう(大崎滋生『ベートーヴェン像再構築』全3巻)。同時代の作品(自作)から過去の音楽(他者)の演奏へ、自己表現としての音楽作品・演奏に、ベートーヴェンの受容(楽譜出版、交響曲の演奏会)が果たした役割は大きい。19世紀を通じてコンサートとリサイタルといった演奏会は、独奏曲、協奏曲、管弦楽曲の様式や楽器の発展とともにあり、「パストゥーシュ(ごちゃ混ぜ)の娯楽」から「芸術の傾聴」へという音楽観の変化をもたらす。アマチュアと差別化されたプロフェッショナルの演奏者でさえ必ずしも演奏する作品の作曲者ではなくなるという、「クラシック音楽」が誕生する。これを加速したのが、19世紀後半 作曲家別全集版(ジャンル別 )の編纂と出版であろう(1851-99 J.S.バッハ Bach-Gesellschaft Ausgabe, Breitkopf und Härtel , 46 vols. ; 1858–1894, 1902 – ヘンデルDeutsche Händelgesellschaft Leipzig: Deutsche Händelgesellschaft (Friedrich W. Chrysander), 99 volumes and 6 supplements ; 1862-1868, 1890ベートーヴェンLeipzig: Breitkopf & Härtel, 25 series in 29 volumes )。作品は作曲者の演奏を意図とした楽譜である以上に、俯瞰され分類され解釈されることによって演奏されるための楽譜(原版のパート譜やその後のピアノ編曲版の流布)から、傾聴のための楽譜(スコア版)としての役割を担うことにもなる。そこに編纂された作曲家と作品は「クラシック音楽」という芸術音楽であるという評価と差異化を全世界に宣言する時代となっていく。

 

 


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