音楽と社会フォーラムのブログ

政治経済学・経済史学会の常設専門部会「音楽と社会フォーラム」の公式ブログです。

第4回の研究会が開催されました!


 (関東地方では)雪の降る水曜日、いかがお過ごしでしょうか。音楽と社会フォーラム事務局でございます。
 去る2月18日(土)、大東文化会館において、音楽と社会フォーラムの第4回の研究会が開催されました。以下、事務局による「研究会参加記」を書き綴ってみたいと思います。

 みなさまお忙しい時期に、いつもと違う会場、時間の開催でしたが、10名もの方々に参加していただきました。はじめてご参加いただいた方々もおられました。まことにありがとうございます!
 恒例になりつつある自己紹介の後、16時45分頃から金子亜美さんのご報告が始まりました。テーマは「音楽の人類学的探求―アラン・メリアム『音楽人類学』を通して―」。パワーポイントを用いた大変詳細な、しかも私のような不勉強な者にも非常にわかりやすいご報告でした。メリアムの著の内容紹介およびそれにかかわる論点提起に加え、ご自身の問題関心や展望等をご提示いただきました。以下、ご本人によりますご報告の概要を掲載いたします。

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 本報告では、音楽の人類学的探究について体系的に論じた古典、アラン・メリアムの『音楽人類学』(A. Merriam, *The Anthropology of Music,* 1964)を通して、音楽研究に人類学的な視点を導入することの有効性を紹介した。
 アラン・メリアムは、人類学者メルヴィル・ハースコヴィッツに師事し、コンゴのバソンゲ族、アメリカ合衆国モンタナ州のフラットヘッド族などを主要なフィールドとした音楽民族学者である。メリアムは『音楽人類学』を含めた論文のなかで、従来の音楽研究が音楽における音響の側面を強調してきたことを批判し、「文化の中の音楽」「文化としての音楽」を探求する必要性を主張、そのための具体的方策として、人類学の理論やフィールドワークの手法を用いることを提唱した。ハースコヴィッツらに代表される文化相対主義の徹底、マリノフスキー的機能主義やラドクリフ=ブラウンの構造機能主義の批判的導入、さらに同時代に展開していた構造主義との親和性を覗かせるなど、人類学との積極的な対話を繰り広げる著作である。「文化の中の音楽」「文化としての音楽」という視点を導入した音楽研究がほとんど自明のものとなっている現在、あらためてこの音楽民族学碩学を中心に据えて議論ができたのは、大変貴重な機会であった。
 研究会においては、『音楽人類学』を再読することを通して、こんにちの音楽研究が取り組むべき問題点が数多く議論された。本概要では二点を紹介する。
 第一に、『音楽人類学』をとりまく時代の制約についての問題がある。まず、メリアムが「音楽 music」という概念を普遍化する点について、人類学的とりくみを行うのであれば音楽という概念自体の相対化を徹底しなければならないとの指摘がなされた。音楽という用語を用いることの問題性を自覚しながらも、その概念を手放しては蓄積された研究との関係性を提示しがたい学問の限界を意識させられる問題である。また、メリアムが参照している事例はアフリカ大陸と南北アメリカ大陸、メラネシアなどにわたるものの、網羅できていない地域があまりに多く残されていることから、現在では首肯しがたい主張が随所でなされている。この点に関しては、現代の音楽研究者が、都度メリアム以後の成果を絶えず参照することで克服していく必要があるだろう。
 第二に、メリアムの議論と他の人類学理論との関係について興味深い言及があった。音楽家集団が自分たちをどう規定しているか、あるいは音楽家の出自についてメリアムが述べるとき、諸〈界〉や〈ハビトゥス〉をめぐるピエール・ブルデューによる80年代以降の議論を直接応用することができるだろう。また、「文化の中の音楽」「文化としての音楽」という発想は、音楽などを当該文化に通底する無意識の構造を反映するものと論ずる、レヴィ=ストロースなどの構造主義の立場と親和性があると指摘された。さらに、「未開音楽の救出、消えゆく音楽の保護」を研究の目的に掲げるメリアムに対して、西洋中心主義的であるばかりか人間中心主義的であるという批判を行うことができる可能性が示された。
 いわゆる、他なる社会の音楽をめぐって著された『音楽人類学』であるが、その考え方や手法はいまや、同時代の音楽産業をはじめ、現代音楽、西洋音楽、自民族の音楽など、あらゆる音楽をめぐる実践に適用可能なものであることが共有されただろう。メリアムの提示した方向性を「文化の中の音楽」「文化としての音楽」という、ある種キャッチフレーズのかたちでのみ共有しているのはあまりに惜しい。今後の研究会においても都度メリアムを参照し、現代の音楽研究のありかたを絶えず相対化していきたい。

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 1時間をこえるご報告の後、本フォーラムのMLを通じて、研究会の前日に金子亜美さんのご報告の内容に深くかかわる文献をご紹介いただきました(ありがとうございます!)、早稲田みな子さんより「補足」のお話をいただきました。その上で、17時55分頃より討論が始まりました。

 

 討論の内容は、ご本人よる概要を掲載させていただきましたので割愛させていただきますが、(私以外の)出席者の方々全員からご発言があり、ご報告者に対する質問のみならず出席者間の熱い議論も展開いたしました。「刺激的」という言葉が幾度か聞こえてくる中、発言が途切れることはありませんでした。本フォーラムのメンバーのみなさまのもつ、ひろく、深い知識、関心をあらためて確認させていただいたひとときともなりました。同時に、活発な議論が行われるにいたった最大の要因(のひとつ)は、多様な論点を含む、金子亜美さんの大変ご丁寧なご報告にあったことは疑いないと思います。お忙しい中、ご報告いただきました金子亜美さん、参加していただきましたみなさま、本当にお疲れ様でした。
 討論の後、今後のフォーラムの方向性について話し合いがありました。こちらもある意味では研究会以上に熱い討論が展開したのですが、決定事項等については、内容をとりまとめましてあらためてご報告させていただきます。
 また次回の研究会についてですが、5月第2週の土曜日、5月12日の14時より、東京大学において開催する予定となりました。和田ちはるさんにご報告をお引き受けいただきました。詳細が決定次第、本ブログまたMLでお知らせいたします。

 研究会の後の懇親会にも多くの方々にご参加いただきました。前回大東文化会館で研究会を行った際も同様でしたが、ほとんどの居酒屋が満席でしたので、井上貴子さん「行きつけ」の中華料理店で行うことになりました。大変リーズナブルでおいしいお店でした。しかも飲み放題ということもあり、研究会の延長で議論はさらにヒートアップしたように思います。個人的には今後大東文化会館で研究会を行う際の懇親会は、このお店がよろしいのでは、と思いました。「激論」が交わされる中、遠方の方から徐々に帰路におつきになりましたが、かなり遅い時間まで多くのみなさまにおつきあいいただきました(私は帰宅するのがなかなかに大変でした)。みなさま、夜遅くまでまことにありがとうございました。