音楽と社会フォーラムのブログ

政治経済学・経済史学会の常設専門部会「音楽と社会フォーラム」の公式ブログです。

秋季大会でのパネルディスカッション開催!

関東地方ではうだるような暑さが続く今日この頃、いかがお過ごしでしょうか。
音楽と社会フォーラム事務局でございます。


 このたび、本フォーラムは、11月10日(土)に慶應義塾大学(三田キャンパス)にて開催される、政治経済学・経済史学会2012度秋季学術大会において、パネルディスカッション「音楽が国境を越えるとき―「近代」における異文化接触―」を行うことにになりました。午前中に行われる予定です。
 新たな試みとしまして、社会政策学会労働史部会との共催となります。
 以下にその概要を記します。

・・・・・・

政治経済学・経済史学会音楽と社会フォーラム・社会政策学会労働史部会 共催

音楽が国境を越えるとき―「近代」における異文化接触

 「音楽は国境を超える」という言葉をよく耳にするが、その意味するところは音楽と言語を比較して言語よりも音楽の方が理解されやすい、言葉の壁は高くて厚いが音楽は言葉を介すことなく理解できるということだろう。実は、一見、当たり前のように感じられるこの言説そのものがはらむ問題は極めて大きい。まず、固有性と普遍性―人類皆兄弟か十人十色か―という問題である。現実的には、音楽を成り立たせる理論または規則は普遍ではありえない。「ヨーロッパ古典音楽」の理論では旋律とリズムと和声を音楽の三要素としているが、これら三要素が揃っていない音楽は世界中にあふれており、揃っていないからといって音楽としては不十分だとは言えない。科学としての音楽学は、どの音楽にも共通の理論的基礎、すなわち普遍性を見出そうとしてきたが、民族音楽学者はそのような考えに異を唱え、固有性に焦点をあてる必要があると主張した。すなわち、音楽そのもの自体もそれほど簡単にあらゆる人々に理解されるわけではない。
 では音楽にも国境は存在するのか。存在するとしたら、音楽の国境とは何か。それが「近代」の国際法上の国境と異なるのは当然だろう。また、実際の国境と理念上の国境的なるものの空間領域にもズレがあるのも当然である。しかし、国境とは何かについて議論し始めたら、音楽にたどり着く前に議論の収拾がつかなくなりそうである。そこで、とりあえずは、近代法上の国境を前提とした異文化接触を考え、実際上の音楽理論的基礎の共通性の濃淡を、音楽における国境の存在を決定づける重要な要素と捉える。さらに、共通性の薄い音楽同士の出会いはより明確な異文化接触として観察可能なものと考え、そのような事例に焦点あてて議論する。すなわち、できる限りわかりやすい現象から取り上げるということである。
 さて、異文化接触はどのような契機で起こるのか。民族音楽学または音楽人類学において、文化触変(acculturation)と音楽の関係はありふれたテーマである。異文化の接触とそれに伴う文化の変容は昔から存在したのだが、近代以降の人とモノの移動と流通の加速化により、ますます注目されるようになった。実際のところ、「非西洋」の「西洋近代」との接触や「西洋」による「非西洋」の植民地化に伴い、異文化研究として人類学が発展したのである。しかし、音楽が国境を超える契機という課題に立ち返るならば、音楽産業、なかでも録音産業の発展が最も重要であろう。もちろん、録音技術の成立以前にも主に楽譜出版という形での音楽産業が存在したが、楽譜から実際の音楽を再構成するためには、理論的基礎を共有していなければならない。楽譜は「ヨーロッパ古典音楽」の理論的基礎を共有する地域の外では、国境を越えて流通することは極めてまれだった。しかし、19世紀末、録音技術が発明されると状況は一変する。これによって今日的な音楽産業が成立し、20世紀前半にはレコード、ラジオが発展、後半に入るとテレビ、レコード・カセットからCDへと音楽産業は拡大し、21世紀にはデジタル音楽時代を迎え、音楽流通のボーダレス化・グローバル化は加速した。このように、音楽産業は非常に重要な視点であることは間違いない。しかし、本パネルでは、録音技術を中心とした音楽録音産業について焦点をあてる前に、まずはそれが発展する直前の時代、すなわち主に「長い19世紀」と呼ばれる時代(18世紀末頃〜第一次世界大戦前頃)に焦点をあて、音楽が国境を越える契機について考えたい。この時代は「非西洋世界」が「西洋近代」と接触し、植民地化が進行した時代である。アメリカの民族音楽学者ブルーノ・ネトルは、非西洋諸国において西洋音楽との最初の出会いはキリスト教の宣教師や軍楽隊によってもたらされたと述べている(『世界音楽の時代』勁草書房、1989年、7-12頁)。しかし、この時代に音楽が国境を超える契機としては、このほかにも博覧会(万博などの余興やイベント)、社会運動(労働運動など)、出稼ぎ音楽家や移民労働者などが考えられる。本パネルでは、井上貴子キリスト教、井上さつきが万国博覧会、小野塚知二が労働運動/社会主義運動を事例として取り上げ、いわゆる「長い19世紀」における音楽をつうじた異文化接触の契機について考える。

趣旨説明(5分): 井上貴子(大東文化大学)
報告(各20分)
1. 井上貴子
「音楽メディアとしてのキリスト教―インドを事例として―」
2. 井上さつき(愛知県立芸術大学)
「音楽の展示―パリ万博と音楽―」
3. 小野塚知二(東京大学)
「万国の労働者は団結したか?―労働運動/社会主義運動の音楽と第一次世界大戦―」
コメント(10分): 瀬戸岡紘(駒澤大学)
司会:
高橋一彦(神戸市外国語大学)
枡田大知彦(法政大学大原社会問題研究所)   

・・・・・・

みなさまのご参加をこころよりお待ちしております。