音楽と社会フォーラムのブログ

政治経済学・経済史学会の常設専門部会「音楽と社会フォーラム」の公式ブログです。

第11回研究会の概要をご紹介します!

 3月が訪れ、あたたかさを感じる日も多くなった今日この頃、いかがお過ごしでしょうか。


 昨年の11月2日(日)、午後2時より東京大学本郷キャンパスで行われた第11回研究会におけるご報告およびディスカッションの概要が届きました。ご報告者の早稲田みな子さん、まことにありがとうございました。以下に紹介させていただきます。


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音楽と社会フォーラム 第11回研究会 報告

報告テーマ: 「アメリカの発表会――南カリフォルニアとハワイにおける日本音楽・芸能の事例から」

報告者: 早稲田みな子(東京芸術大学・非常勤講師) 

日時: 2014年11月2日(日)午後2時〜

大変遅くなりましたが、上記研究会の報告をさせていただきます。

 本報告は、『発表会文化論:アマチュアの表現活動を問う』(宮入恭平 編著、青弓社、2015年)の出版に先立ち、報告者が担当したこの中の一章をご紹介したものです。本書は、現在日本人の日常生活に浸透している発表会(的なもの)について多角的に考察することを目的に、異なる分野に携わる六名により共同執筆されました。ミュージシャンでもある宮入氏が、「ライブシーンの発表会化」(ライブハウスで演奏するために出演者自らが出資する「ノルマ制度」)に違和感を覚えたことが、発表会を取り上げた発端でした。本書における「発表会」は、「日頃の練習成果を披露するために、おもにアマチュアの出演者自らが出資して出演する、興行として成立しない公演」を指します。報告者が担当したのは、「第9章 アメリカの発表会」ですが、本書全体は日本の発表会(的なもの)に焦点を当てたものです。以下、各章のタイトルと執筆者・専門分野を紹介させていただきます(宣伝のようになってしまい恐縮です)。

第1章 発表会の歴史(薗田碩哉・余暇論、歌川光一・教育社会学
第2章 習い事産業と発表会(佐藤生実・コミュニケーション論)
第3章 社会教育・生涯学習行政と地域アマチュア芸術文化活動(歌川光一)
第4章 学校教育と発表会(宮入恭平・ポピュラー文化研究)
第5章 発表会が照らす公共ホールの役割(氏原茂将・地域文化計画)
第6章 合唱に親しむ人々(薗田碩哉)
第7章 誰のための公募展(光岡寿郎・ミュージアム研究)
第8章 発表会化するライブハウス(宮入恭平)
第9章 アメリカの発表会(早稲田みな子・日系移民研究)

 報告者が担当した第9章は、日本の発表会システムの重要な基盤である「家元制度」に注目し、それがアメリカの日本芸能の発表会においてどのように変容しているかを明らかにします。アメリカの中でも日系人口が集中し、日本芸能も盛んである南カリフォルニアとハワイの実例を比較材料として提示し、日本の発表会の特徴を浮き彫りにすることを試みました。
 フォーラムでは、19世紀末の労働移民を発端とする日系アメリカ人の歴史を概略し、アメリカで生まれ育った日系人がほとんどである現在、日本芸能の発表会がアメリカでどのように行われているかを報告しました。家元制度が基盤である日本の発表会の場合、「門弟の忠実奉仕義務」の一部として、発表会の諸費用、師匠へのご祝儀等がすべて弟子の負担となりますが、弟子の「金銭的義務」を暗黙の了解としない日系世代の台頭とともに、アメリカでは新しい発表会システムが模索されるようになりました。弟子の経済的負担を減らすための工夫として採用されるようになった方法は:1)チケット制度(発表会の入場料を取る)、2)助成金(政府や企業の助成金を獲得する)、3)広告収入(プログラムに地元企業・商店等の広告、出演者の知人や親族の祝辞を有料で掲載する)、4)ファンド・レイジング(ガレージセールやバザーで資金集めをする)、の主に四つです。このような方法を採用することによって、新たな現象も生じています。チケット制度の採用は、身内を中心とした閉鎖的な発表会ではなく、一般客を想定したショーとしての発表会の出現を促しました。そして、ショーとしての発表会を実現するために、アメリカにおける日本芸能の継承・促進を共通目的として、日系アーチスト、地元企業・商店、日系メディアが協力し、芸能を中心とした日系ネットワークが形成されています。家元制度がローカル化することによってアメリカ式発表会は実現していますが、それはまたアメリカにおける日本芸能の位置づけや意義の特殊性にもよっています。そのため、アメリカのやり方をそのまま日本に適用することは困難ですが、多大な経済的負担を伴う日本の発表会システムも現在変容を迫られており、アマチュアの芸術文化活動を支える新たな経済システムの構築が必要ではないか、という指摘で発表を締めくくりました。
 報告者は普段、音楽関係の学会で研究発表を行うことが多いのですが、このフォーラムでは経済学、国際関係論、近代法史など、音楽以外を専門とする先生方からもいろいろなコメントを頂くことができ、大変有意義な経験となりました。発表の機会を頂いたことに感謝申し上げます。特に今回の発表は、家元制度における弟子の経済的義務という、社会学・経済学とも関連するテーマだったため、音楽学会という「同質的な身内に向けてのパフォーマンス」(発表会)よりも、むしろ関心をもって聞いていただけたと感じました。半澤朝彦先生からは、「家元研究の文献が最近あまりないのはなぜだろう」という疑問が投げかけられました。その後、高橋一彦先生からは、報告者が家元制度について参照した『イデオロギーとしての家族制度』(岩波書店、1957年)の著者、川島武宜が法学における「近代主義」を代表する存在として扱われていること、そしてこの本が「封建的/後進的日本」の糾弾の書として位置付けられていること、しかし川島は晩年には「イエ制度批判」から離れて行ったこと、さらに日本の法社会学自体、1980年代に入ると「日本後進論/日本異質論」から離れていき、その結果、家元研究も出てこなくなったのだろうというご指摘を頂きました。法社会学という枠組みの中で家元研究を考えたことが無かった報告者にとって、家元制度批判を鵜呑みにするのではなく、その学問的背景まで考えることの重要性にはっとさせられました。

 ディスカッションでは、『発表会文化論』の発端となったライブハウスの「ノルマ制度」についても、かなり盛り上がりました。かつては才能あるアーチストを発掘し支援する役割ももっていたライブハウスのオーナーが、今では単なる箱貸しのビジネスマンになっているという指摘、実際、名前の知られていないセミプロ的バンドの集客は困難であるから、そのようなバンドも演奏の機会が得られる「ノルマ制度」は決して悪いシステムではないという意見など、バンド経験者(意外と多かった)のご発言も、非常に興味深かったです。「なぜパフォーマンスをするのにお金を払う必要があるのか」というアーチストの立場、「アマチュアの表現活動なのだから発表会的でしかるべき」という立場、プロとアマチュアの境界を引くのが難しいように、難しい問題だと感じました。みなさま、いろいろなコメント、ご意見、ありがとうございました。(文責:早稲田みな子)